しあわせへの道
たけちよさんは、紅茶を飲むとしあわせになれます。
多分、いまさら言うことではないと思うのですが。
ここを見てくださってる人であれば、もしくは私を知っている人であれば、
言うまでもなく分かってくれていると思う。
もちろん、自分でもそう思ってます。
『私は、紅茶を飲むとしあわせになれる』
って。
ただ。
私はどうやらこの
『紅茶を飲むとしあわせになれる』
を、カン違いしていたようなのです。
最近そのことに気付いたのです。
カン違いというか・・・拡大解釈し過ぎていた、が正しい気がします。
私は、
『紅茶を飲むとしあわせになれる』
けれども、
『いついかなる時も、紅茶さえ飲めばしあわせになれる』
じゃない。
『紅茶だけが、私をしあわせにしてくれる』
でも、ない。
≪私を、今、この状態から持ち上げてくれるもの≫
が、紅茶じゃない時が、あるんです。
そこを、見落としていた。
気分を上げたくて淹れたハズの紅茶が、ロクに飲まれず
ポットごと冷めているのを、ここ数日で何度か見て。
やっと気が付きました。
掃除かも知れないし。
手芸かも知れないし。
ゲームかも知れないし。
お酒かも知れないし。
家族でおでかけしたいのかも知れないし。
他にも、いろいろあるんだ。
≪私を持ち上げてくれるもの≫。
なのに、紅茶だけに頼り過ぎてた。盲信してた。
自分の心にダイブして、感触を探ります。
紅茶が足りている今、自分が何を、必要としているのか。
今・・・
いま、自分に必要なのは・・・
惰眠をむさぼること・・・!
(堂々と言うな)
いろいろ投げ打ってお布団くるまってゴロゴロ寝てたら
私の灰色の脳細胞がたいへんユカイな夢をロングラン上映してくれましたので、
残念ながらこの判断はたいへん的確であったと言わざるを得ない。