わたぼこ堂雑記帳

「お前のはのーみそはわたぼこりか!」 う~ん、さもありなん…そんなたけちよの日記。あなたのお役に立ちません。

あの日から1年。

肝心の時刻にはお昼寝しちゃってたんですが、遅ればせながら黙祷。



きっと、1年ぐらいではどうにもならないのでしょうなぁ。
それでも原発のことさえなければ、今よりもっともっと
復興は進んでいたのでしょうけれども。
でもそれは、たぶん、たらればの話だから、あまり意味がない。



原発さえなければ。
地震さえこなければ。
津波から的確に避難できていれば。
津波への備えがもっと頑強でさえあれば。
もう少しだけあたたかい季節であったならば。



すべて、後悔するには詮無いことだと思うのです。
もちろん、次へは活かしていかなきゃいけないのだけど。



『忘れてはならない』も。
『忘れられるものなら忘れてしまいたい』も。
被災者たちの想いは、どちらも本当で、だからこそ複雑なのだと思います。



先日TVの特集で、自衛隊のあの日の活動が放映されていました。
人々は口々に、自衛隊を『ヒーロー』だと讃えました。
もちろん私も、言葉では到底言い尽くせないほどの畏敬の念を抱きました。



…と同時に思い出したのが、その前日に新聞で見た、とあるコラム。
奇しくも、『ヒーローはいらない』というタイトルでした。



とはいえ、この『ヒーロー』は自衛隊を指すものではありません。
英雄気取りで現地入りし、自らも被災者でもある現地スタッフに
命令口調で指揮をとるボランティア医師が一部に居た…という話。
ハードな宿直勤務は敬遠され、ボランティア医師たちの要求と調整に
現地スタッフが駆けずり回るハメになった…と書かれていました。



自らヒーローになりに行ってはいけない。
主役はあくまで現地の人たち。
ボランティアはそのサポートに徹しなければならない。
コラムは、そう締めくくられていました。



私は、自衛隊員にも、医師にもなれない。
どちらも私には及ばない努力を積み重ねてきた人たちのハズなのですが。
この『ヒーロー』たちは、どこで評価が分かれたのか。



わかるような、わからないような。



大切な家族がいま生きていることをかみしめながら、今日は眠ることにします。