家族が残念な話
たかだか2泊3日の帰省で、何を私は
ストレス溜めて帰ってるのか。
(以下、残念な話です)
きっかけが些細なこと過ぎて。
きっと家族には、何で怒ってるのかすら
理解できてないんだろうけど。
説明したところで、開口一番保身に走られて
傷口をこじ開けられるだけなのが目に見えているので。
親切にかみ砕いて説明するだけムダ。
残念ながら、過去15年間ほどの経験上、期待できないのです。
愛されてないとまでは言わないけど。
愛されていると思えるような行動は、取ってはくれず。
人の怒りを、へらへら笑って聞き流す。
帰省でストレス溜めて帰るの、もう何度目か分からない。
布団の中で独り怒りに震えながら己の気がそれるのを待って、
対して傷つけた方は素知らぬ顔でのほほんと過ごしてる。
アイツすぐ怒ってめんどいなー位で思ってる。
それで家族だって?ふざけんな。
『○○のときに○○なのに○○○みたいに扱われて
○○だって言ってるのにその上○○されたから怒ってる』
とまで訴えてるのに
『まぁまぁ〜』
の一言で全部収まると思うなよ、アホンダラ共。
閾値というものがありまして。
私の話を聞くことに関して、家族はコレが
異様に高いと思うのです。
Aという件で私が腹を立てたとする。
怒り50%で、やめて欲しいと訴える。
しかし閾値以下なので、聞き流される。
Aとよく似た原因の、Bという件が起こる。
怒り70%になって、やめてくれと訴える。
しかし、やはり閾値以下で聞き流される。
更にCという件が起きる。
怒り85%で、やめろと言う。
しかし、やはり閾値以下で聞き流される。
Dという件が起きる。
怒り100%で、いい加減にしろと言う。
そこでやっと閾値を突破して、出る反応が
『うわぁ、何でいきなり100%モードで怒ってんの』
『Dの件で腹を立てたからといって
A・B・Cの件まで持ち出してこないで欲しい』
『いやならその都度言って』
『まとめて責められたら、聞く気がなくなる』
閾値が90%ぐらいのところにあると思うのです。
ここまで聞き流せるって、よっぽど人の事ナメてると思うのです。
だからって初手から100%で毎度毎度行ったところで
大人しく聞いてもらえる訳でもなく。
むしろ閾値が105%ぐらいに進化するだけの話で。
そうなると今度は120%で怒らなきゃならない訳で。
そもそも、そういう経緯で今、90%まで上がってる訳で。
私が怒りっぽいんじゃない。
人が腹を立てることを、懲りずに何度も何度も何度も
何度も何度も何度も何度もやる方が、おかしいのです。
でも。
私が怒りっぽい、ということにしてしまえば。
家族の共通認識として固めてしまえば。
反省の必要がない。
耳が痛くない。しんどい思いをしなくて済む。ラクができる。
だから、『姉ちゃんは怒りっぽい』。
私ひとりが怒ろうが。
泣こうが。
悲しもうが。
他の家族はみんなそれでいいから、
間違っているのは私ひとりなんだってさ。
イジメと同じ原理ですね。分かりやす〜い♪
…はぁー。
あーあ。
相互理解を追い求める大人で居るのもいい加減疲れたので
言いたいこと言い放ってガチャ切りしたら、存外スッキリしました。
もうこれ以上は歩み寄れんわ。
家族が、実に残念です。